いろいろどうでもいい時

いろんなことに興味がなくなる時期があります。この世にしがみつくのに疲れて、なんかいろいろどうでもよくなるのです。でも死にたくもないので、宙ぶらりんのままただ時が過ぎるのに耐えます。数時間で回復することもあれば、数週間続くこともあります。

 

今日はちょうどそんな気分でした。ご飯を用意するのが億劫で、床に転がるスナック菓子で空腹を紛らす。スマホをいじることさえだんだん面倒になって、やがて寝るしかなくなる。でもなぜか目が冴えて眠れない。行き場をなくした胸のざわつきを、もう一人の自分が頭上からなんとなく眺めてる。まあそんな感じです。

 

しばらく外部のあらゆる不快な刺激を閉ざしてただただ寝転んでいたいです。でもそんなことできないし、もし実現したとしても退屈ですぐ動きたくなるんだと思います。だからもうおれはいつまでも子供みたいなことを思いながらなんとなく生きていくしかないのかもしれません。それもそれでいいのかなとも思います。がんばろ。

改札でICカードが認証されず、列が滞るあの感じ

戸惑いといら立ちが立ち込めるあの感じ。

やり直してすぐ通れればいいんですが、なぜか2回3回と失敗する。後ろの人は静かに圧力をかけたり、見切りをつけて隣の改札に動いたりする。ICカードが招く哀しい場面のひとつです。

 

自分が原因になるのも、巻き込まれるのもいやですね。そもそも通勤電車は負の感情が渦巻きまくってるのに、そこにきてさらにあの感じは厳しいです。そして冷静になるとその程度のことでいら立ってた自分が哀しくてさらにつらいという。すべては毎日朝から晩まで働かねばならないこの社会が悪いんでしょうかたぶんそうでもないですね。はやく人間になりたーい。

秋の気配

街外れのサウナのように暑い夜はいつのまにか過ぎ去って、涼しい夜が戻りつつあります。セミの声は徐々に静かになり、代わりにもっと穏やかな虫の声が聞こえる。秋の気配です。

 

今年もいつのまにか夏が終わっていました。昔は夏といえば飲み会やイベントをどれだけ入れられるかの勝負、みたいな時期もあったけど、もうそんな気力もなくなってきました。

 

でも、それはそれでいいのだと思っています。刹那的な楽しみにだんだんと価値を見いだせなくなりつつあるのです。歳のせいでしょうか。いや、まだ若いはずです。そう思いたいだけなのでしょうか。

 

……いやはや。

 

 

 

 

 

本場の南国フルーツの独特のエグみについて

本場の南国でフルーツを食べると、だいたいは美味しいですが、独特のエグみを持ってるやつがたまにあります。日本に流通してるフルーツにはない風味です。分かりますかね。渋いとも苦いともちょっと違って、甘いとも違う。エグいと言ったら言い過ぎだけど、他に適当な言葉が見当たらない味です。

 

まあ、その独特の感じは基本的に苦手なんですが、しばらくしたら仲良くなれそうな感じもするのです。食べてるうちに「お?意外に良い奴か?」と思う瞬間がまれに訪れるというか。でも、慣れる前にいつも南国を離れてしまうんですよね。職場の人の入れ替わりと似てます。そうでもないか。

 

今日もどうでもいいことを書いてますが、なぜかというといろいろやる気が起きないからです。バイタリティに満ち溢れた前向きな人間になりたい、なんて希望はもう過去に置いてきましたが、せめてもうちょっとなんとかならないかなあとと思う次第。この自堕落な穀潰しでも今のところふつうに生きられているのは、意外に寛容な社会なのかしら。それもただの気まぐれなのかしら。ああ、10日くらい寝て過ごしたいです。

くるりんぱ

くるりんぱをご存知だろうか。ご存知も何も、ただの擬音ではないのかと訝る御仁もおられよう。あるいは、思いつくのはダチョウ倶楽部の帽子を回すギャグである。

 

私も初めはそう思っていたのだが、どうもそうではないらしい。意味をもった一般名詞として使われているのだ。

 

登場するのは若い女性向けのメディアである。ごく当たり前のように使われている。女性にとってはごく一般的らしい。

 

しかし、男性にはそうではないだろう。いや、もしかしたら男性にも一般的なのかもしれない。でも、少なくても私は最近知ったのでこのまま続けさせてください。

 

くるりんぱとは、その音から連想されるように、何かに何かをくぐらせて回転させることである。何に何をくぐらせるのか。そう、髪に髪をくぐらせるのである。「そう」も何も、べつに大層なことはないが、束ねた髪をくぐらせるヘアーアレンジの一種である。

 

これの③のやつ

 

 

 

………はい。

 

 

ブロッコリーが身体に良いらしい

聞くところによると、ブロッコリーが身体に良いらしい。これで身体に関するすべての問題が解決するというわけではもちろんないものの、何かしらの良さはあるらしい。身体のどこかに何かが作用して、何か良いことが起こるかもしれないらしい。ブロッコリーはそうらしい。

身体に良いとのことなので、結果的には心にも効くかもしれないらしい。ブロッコリーは、めぐりめぐって精神安定剤的な役割を果たす可能性もあるのかもしれないし、そうでもないかもしれないらしい。ブロッコリーはそうらしい。

ブロッコリーは小さな森とも言われるが、それを鑑みると、小さかろうが大きかろうが森は森であるので、身体に良いのは当たり前なのかもしれない。まったく必然的なことであるらしい。

ブロッコリーほどではないかもしれないが、カリフラワーも身体に良いらしい。しかし、ブロッコリーほどではないだろう。私はそう思います。

とにかく、ブロッコリーは身体に良いらしいし、私の記憶違いかもしれない。ブロッコリーはそうらしい。

 

 

頭が腐った結果

長いこと意味のある文章を書いてなかった気がする。頭が腐ってしまっているのか、いっこうに筆が進まない。リハビリがてらにまたブログを始めてみた。何を書こうかはあまり決めていない。

これまでも何度かブログを始めてはすぐに放置するということを繰り返してきた。何かを書くのは、何かをしゃべることよりは好きだが、中身のない人間なのであまり書くことがないのである。にもかかわらず懲りずにまた始めてしまった。学習のない男である。